安里圭一郎/KEIICHIRO ASATO
神戸市在住。
洗足学園音楽大学打楽器コース卒業
2011・2013・2019年にトリニダード&トバゴで行われた「PANORAMA」に「Silver Stars」「Skiffle」「Desperadoes」のメンバーとして出場。
2015年KOBE100PAN PROJECTの関西グループ指導に参加。
2017年活動の拠点を神戸に移しスティールパンの普及活動に務めている。
安里圭一郎の生い立ち
神奈川県横浜市生まれ。
3歳の時に川崎市に移って以来ずっと川崎市在住。
幼少期は2人兄弟の兄として弟と一緒に楽しく過ごす。
幼稚園時代
幼稚園に入り、同級生達と楽しく過ごすと同時に「自分は自分の考えで行動しよう!」と、ぼんやりと考えるように。
今でも覚えているエピソードがある。
幼稚園のクラス全員で自分の似顔絵を描いた時のこと、みんなは先生が描いた「お手本」を参考にしながら描いたけど、僕はその「お手本」を見ずに自分で描いた。
当然、お手本を参考にしたみんなの絵は上手だったけど、「みんな同じ似顔絵」になっていた。僕の似顔絵は良く言えば自己流、悪く言えば、まぁ下手な似顔絵だった。クラスメイトからは笑われてしまって、僕も先生が描いた「お手本」をもとに似顔絵を描くことにした。してしまった。
そのおかげで笑われることはなくなったが、同時に激しい違和感を覚えた。「これって僕らしさは全く無いな。」
その出来事以来、『たとえ人と違っても「自分の考え、自分らしさ」をしっかりと持ち、それを大事に生きていこう』と考えるようになる。
小学生時代
専業主婦の母、電気関係の仕事をしているという父。
小学校に入ってすぐの頃、母に一つの質問をした。
「お父さんは一体どんな仕事をしているの?」
その問いに対して「電気関係の仕事。詳しいことはお母さんもわからないけど、お父さんはお父さんにしかできない仕事をしているんだよ。」
この一言が僕に大きな衝撃を与えた。
「自分にしかできないことをするってカッコイイなぁ!」
小学校の4年生ぐらいになった時、僕の父は会社を辞め、「今日からお父さんが社長でお母さんが副社長、お前たち(僕と弟)は社員だからね!」と言い出した。いわゆる「個人事業」を始めたらしい。
当時はあんまりよく分かってなかった。「つまりお父さんは自分にしかできない仕事を頑張っているんだなぁ!」というぐらいの認識だった。以降、僕が大学を卒業するぐらいまで個人事業主として働らく父親を見て、「僕も将来は自分にしかできないことで個人事業主になろう!」と思うようになる。
この頃もう一つ衝撃的な出来事が。
小学5年生ぐらいの頃、WINDOWS95がウチにやってきたこと。
父親の仕事の都合、小さい頃から家にパソコンは置いてあってフロッピーに入っていたゲームをやっていたが、それ以外の使い道は分からなかった。
そこにWINDOWSがやってきて、生まれて初めて「インターネット」というものを体感する。たしか、天気とかを調べた気がする。
「これからはパソコンを使えないとダメだ・・!」
子どもながらにそう思った。そんな経験が10年以上後、このサイト作りに繋がることに・・・。
早い段階からパソコンとインターネットを体感できたこと。そのキッカケを作ってくれた父親にとても感謝している。
このプロフィールを作成するにあたり家の写真を整理していたら出てきた写真。小学校時代は音楽をやっていなかったから授業の時に撮ってくれたものだと思う。かなり貴重な写真。
中学生時代
中学校に入り、色々な出来事に巻き込まれた。
水泳部に入って市の大会で団体2位に入ったり、個人種目(バタフライ)では県の標準タイムを切ったり。(本番のレースで標準タイムを切れば県大会に出場できたが、残念ながら2秒ほど遅いタイムでゴールとなり県大会出場はできなかった)
文化祭で見た吹奏楽部のドラムに感動し、高校に入ったら絶対に吹奏楽部の打楽器パートに入ろうと決意しました。
人生の中でも大きな出来事。いじめにあいました。
よくあることと言ったらよくあること。ヒドイいじめにあいました。
いじめというのは誰にでも起こることですから、今更「僕はいじめにあった悲劇の人です。」だなんて言うつもりはありませんが、毎日偏頭痛と神経性胃炎の日々。学校に行くのが憂鬱でした。
しかし、登校拒否になることはありませんでした。「ここで登校拒否になったら父のような自営業ができるわけがない。絶対に大学には行きたいから、こんなところで登校拒否になってる場合ではない。」という強い意志が、僕を毎日学校に向かわせた。(当時、自営業をするには大学卒業が必須と信じ込んでいました。)
「自分らしくいる為には強さも必要だな」と痛感。
自分にとって苦い経験ではあったけど、このことから学んだことも大きい。
それは、
精神的に落ち込むと何もできなくなる。
自分には自分のペースがあり、過ごしやすい環境にいること・過ごしやすい人と一緒にいることがとても重要。
これは今でも最重要に考えていること。何もできなくなったら仕事どころではない。
高校生時代
高校生に入り、ずっと続けていた水泳をアッサリやめて、念願の吹奏楽に入り打楽器パートに所属。
4月から始めた打楽器だけど、5月のゴールデンウィークには「将来は打楽器で仕事しよう」と決意する。
「どうせ自分が大好きなことをしないと続かないし、僕は個人事業主になる。だったら、こんなに大好きになれる打楽器しかない。」
そう決意してから、僕の高校生活は打楽器漬けの毎日だった。
「打楽器で仕事するということは音大に行くしかない。僕の音楽歴は15歳から。音大に行くような人は3~4歳からピアノをやっているのだから、僕は2~3倍の努力をしないと追いつけないし、音大にも入れない。」
朝起きて学校に行って、朝練。昼ごはんは3時間目が終わった時に食べて、昼休みは昼練。授業がおわったら部活(吹奏楽部)。部活が終わったら学校が閉まるまで夜練。
休日は他の学校の吹奏楽部を見に行ったり、楽器屋を見に行ったり。
本当に音楽漬けの毎日だった。
今まで何をやっても続かなかった自分がここまでのめり込むのは自分でも驚いた。
ちなみに、夜練から帰った僕はほぼ毎日と言っていいほど当時インターネット上で流行っていた「日記系サイト」を見ていた。この経験から自分でもサイトを作りたいと思って「ホームページビルダー」を買ってもらったが全然できなくて挫折した苦い経験も・・。
高校3年生の時に書いた「自分年表」
18歳の時の自分によると、
洗足学園音楽大学に入学
色々なジャンルの打楽器を勉強
辛くても楽しい大学生活を送る
今振り返ってみるとなかなか当たってます。
卒業後は・・
プロになるはず。
色々なバンド、オーケストラ、ブラスバンドで演奏する。
演奏以外にも指揮・指導などもする。
これも大体当たってますね。
プロになりました。
(オーケストラやブラスバンドではないけど)色々なバンドで演奏してます。
指導もやってます。
興味深いのは30代
ジャズバンドを結成する。俺は[Dr.]か[Vib.]
2015年6月11日に僕は30歳になりました。そうか、12年前の僕は30代でリーダーバンドを結成する目標を立てたんだった。
この目標は肝に銘じて必ず達成するようにしよう!
そして、70代。
・もうたくさん音楽はやったので後悔はありません。さようなら。骨と一緒にスティックを埋めてください。
いいですね。70代まで現役で演奏するという目標を立てていたようです。これは良い目標だ!
大学生時代
心配だった音大受験もなんとか合格。洗足学園音楽大学打楽器科に入学。
打楽器科には様々なサークルがあり、そこでスティールパンと出会うことになる。初めはテナーパンがやりたかった。(スティールパンといえばやはりテナーパンだから)
しかし、先輩に「男はテナーパンはダメだよ。ベースの人数が少ないからお前はそれね!」と言われ渋々6ベースを担当。
1年ほどで辞めるつもりだったが、Caribbean Magic Steel Orchestraの来日公演に感動し一転6ベースを志すことを決意する。
その数ヶ月後PANNOTEMAGIC結成話が浮上し、メンバーとして呼ばれバンド立ち上げから関わることに。
大学時代は、授業で担当する吹奏楽やオーケストラ、試験で演奏するクラシックのソロ、室内楽、そしてスティールパンと幅広い楽器・編成を経験。
卒業後はスティールパン一筋で演奏活動をスタート。
大学卒業後
大学卒業後、まず取りかかったのは「自分に自信を持つこと」。
自分自身に全く自信が持てなかった。これはとても致命的で、自分に自信がなければ音楽が聴き手に届くわけがないと思った。
自信をつけるために読書
そこで僕が始めたのは本を読むこと。
(関連記事は以下から)
読書 : freestyle K.A.
本というのは著者が体験したことを1000円ちょっとで知ることができる。この効果は絶大で今も続けています。
著者の失敗談・成功談を知ることができる。
自分に必要な知識・技術・体験・考えかたを知ることができる。
自分が考えもしないようなことを知ることができる。
自分だけの力では実現できないことを知ることができる。
こういったことを知ることができたおかげで、「自分の何が悪いのか」を考える技術が身についた。
大学時代、悩んだ時は先輩に相談していました。同じ大学の先輩なので僕の状況も理解してくれたし、的確なアドバイスをもらった。
それと同じような効果が読書にもあると気づいたんです。
しかも、読書であれば絶対に会う事のできない超有名人の話も聞ける。そりゃあ、僕の想像を絶する失敗とそれを乗り越える方法を知っているはずですから、これはとても参考になります。
読書をする事によって思考が深まっていくのも良い効果。
「自己啓発本なんて、どれも同じようなことが書かれているから一冊で十分。」
とか言っている人は読み込みが甘い。こういった本はいくつも読み込まないと意味がない。
読めば読むほど、「○○さんが書いたことはこういう意味でもあるのか!」という二次的な発見があるから。
そうなると一段深い理解につながりますから。こういうのが読書の面白いところ。
読書というのは、著者の伝えたいことを受け取ること。
受け取った後、自分が必要なら吸収するし、必要ないなら吸収しない。
そんな風に読書を楽しんでいたら、自ずと「自分自身が見えてきた。」いや、「自分自身が創られてきた。」
その結果、自分が進むべき道がわかり、自分に自信が持てるようになりました。
プロの音楽家としての活動がスタート
STEELPAN ORCHESTRA PAN NOTE MAGIC所属。スティールパンに関する仕事は幅広く担当。
現在では、演奏活動は全国に及び、スティールパン指導は神戸・名古屋・横須賀・東京で楽しく開催中。
同時に洗足学園音楽大学内の附属研究所「音楽感受研究所」に所属。「人工内耳」という医療機器を装用している方にどのように音楽を届ければいいか?というテーマを研究し、国内外の学会に参加。所長のスピーチの横でパワーポイントの作成と操作を担当。
パワポの操作ができたおかげで研究所でも仕事ができて、韓国・ドイツ・インドで行われた国際学会にも参加させてもらうことができた。この時、小さい頃からパソコンをやっていて本当に良かったと思った。(2015年3月、自分自身の活動を考え8年所属した研究所を卒業した。)
2013年4月、自分の活動をより広く知ってもらうためにlivedoorブログをスタート。
同年8月、ブログを本格的に構築したいと思い現在のkeiichiroasato.comのオフィシャルサイトを立ち上げ、サイト内にブログを構えるというスタイルで再スタート。
安里圭一郎の音楽ルーツ
中学時代にダンスダンスレボリューション(Wikipediaに飛びます)というゲームにどハマりしました。その影響でダンスミュージックは大好き。そのルーツを深めようと、クラブ(DJが音楽を流してお客さんが踊る場所)に通いました。特にアニソン系クラブイベントは大好きになりました。新しい音楽シーンは楽しいですね。
安里圭一郎のミッション
日本で多くのスティールバンドサウンドを鳴らすこと
僕が6ベースという楽器を選んでやっているのは、日本に6ベースを演奏している人がいなかったから。そのせいで日本にスティールバンド(スティールパンのバンド)のサウンドが鳴らないと思ったから。
正確には、6ベースの演奏者はいました。しかし、その人数は極端に少ない。やっぱり大きい楽器だし、そもそもスティールパンの演奏者が少なかったから。テナーパンを演奏する人がいなければベースを演奏する人が少ないも当然。
この状況を変えていきたい。僕が見たCaribbean Magic Steel Orchestraの演奏には6ベースが必要不可欠。あの勢いとエネルギーを出すためには6ベースが必須です。
打楽器を演奏できて、スティールパンに心を奪われた。
そして6ベースを演奏できる
本当のスティールバンドの勢いを知った
こんな条件が揃った僕がやることはただ一つ。日本中にスティールバンドのサウンドを鳴らすこと。これからもその活動は続きます。
これからの活動
- 自分にしかできないことをする
- 楽しく優しくかっこよく生きる
- 自分らしく演奏して自分らしく生きる
- 演奏で人を踊らせる
みんなが楽しくワイワイ過ごせるような環境を作る。そのために自分に何ができるか模索し続けたい。
そして、得意なことをドンドン繋げて、オリジナリティのある安里を創っていきたい。
ブログタイトルについて
サイトタイトルの「楽しく優しくかっこよく」は高校生の時に大好きだった「FREESTYLEWEB」という日記系サイトの管理人KEIさんがサイトに載せていた言葉。現在、FREESTYLEWEBは閉鎖されていてその言葉を見ることはできないのですが、とても大好きで僕の活動の原点になっているのでリスペクトの意味を込めてそのまま使わせて頂きました。
サイトタイトルを変えました。「楽しく優しくかっこよく」ずっと忘れたくない言葉。 | 楽しく優しくかっこよく
(※フリスタのKEIさん>KEIさんの言葉を勝手に使わせて頂きました。もし問題がある場合はご連絡下さい。)